カテゴリ:京阪 > 京阪(実車)
4ヶ月 思い出のK2003A
早4ヶ月。
K2003A:5555
やっぱり21時20分くらいとなるとK2003Aを思い出しちゃう。同業0。微妙な緊張感。眠気。5のK2003A前は必ず天満橋の杵屋でボケーッてしてFRで入る。眠気と緊張感、そしてさっき食べたうどんの余韻。冬ならひたすら寒く、夏ならひたすら暑い。そして時間をチラチラ見始める21時25分。間もなく流れる接近放送。見える電車。5の数字。停車から消灯までの間にひたすら打つ。開扉と共に流れる発車メロディ。閉扉。そして点けてから動くまでの間にひたすら打つ。するとどれかしらは当たってる。
三脚使えば良いのに。何やってんだか。こうやって毎回来ては真っ暗な写真を増やして。何やってんだか。この記事の写真はその中で一番まともなやつをあれこれやってみた。
何がともあれ、絶対に撮ってたK2003A in守口。“5”の思い出。土休日21時28分前後の話。
さようなら 2609-825(7連)
あまり同方面の記事が続かないようにはしてるんだけれどもそう上手くはいかず。まあブログは俺がルール!ってところでまあまあまあって感じ。
さてはてそてはてはて
13035と引き換えに7/3 P0800Nを以てどうもサヨナラになっちゃったらしいC3箱D4箱の2609-825組成。
まあやっと、というか。あんなボロボロの痛々しい車体を見せつけられるくらいならってところ。まあそもそも興味はそこまでって感じなんだけれども。
でもそれでも何だかんだこの電鉄に入り浸り始めた頃はアタリ認定してた訳だし。
そんな時期もあった。これは確か偶々やった気がする。
この組成は10年だかそのくらい前に2604-824が釈迦になって失業した2625と5連の運用都合で暇になった2609-809で組まれた組成。確かこの組成自体はその前にも暫定で1回やってるのよね。確か混色。んで、そんなこの組成は2609側で純正の2700が3両続いたり625がKW37で車高が気持ち高めだったりってのがチャームポイント。
ただここで引っかかるのがピカピカ系2625-825。2月くらいに検査通してるのに・・・?
2両・・・ボロボロ・・・検査通す程のものでも・・・
あっ・・・・・・。どうなんだろうね。細かいことは存じ上げないけれど順当に考えると・・・・・?
でも2625の運転台は?ん?
2809はあるんだけれども、この通り25は扉が封印されてる訳で。
一筋縄ではいかなさそう。さあどうなる?
最後のビッグイベントは入換過程で起こりそうな・・・・・?
あと気になるのは6連の運用よね。平日はP0707をGWの削減ダイヤのゴタゴタの中で2日ばかり6連で走らせた前科が有ってかつ今回消えたのが2609なんだから順当に一般7連指定のP0707〜が6連になるのかしら。土休日は既に6連3本と5551の回しをしたりしなかったりって具合らしいし、となると日中B線から一般7連全滅?やべぇな。まあR0605を6連にして5551を自由にして貰っても良いんだけれども(というかしろ)。
それにしてももうこの電鉄も終わりよね。終わりというか、今までの価値観のままで進めるなら確実に終わり。5551のBRすら走って、もう使えるレヤ貴重カードは本当にもう無いって感じだし。それにオタクはオタク側でYN→MAの表記見てYRと間違えたんだな、とか適当な宇治線:13081を見て13001なんだな、とかFYであーGYと間違えたんだって自分の中で察することも出来ず平然と指摘しちゃうようなのが目立つし、この電鉄は本当に終わり。
2021年 大きな変わり目の年。
あたらしいP1603
5555編成、終。(3/30)
とうとう終わっちゃった。
今まで散々追いかけ回してきた5555編成も本当に残念なことにギリ年を越せず・・・・・。怒涛の5000追放キャンペーン3弾の第3波に勝てなかった。。。。。
最終運用は3/24 R1802Nでそこから5554と同じように予備としてひたすら淀屋橋停泊明けがよく止まってたゾーンで最後の数日。
何だろうね、悔いだらけ。
そもそも初めて5555を見たのは3年前でまだギリギリ2,4が生きてた頃。
京阪というところは面白そうだ!って言って適当なデタラメの行先言って飛び出してきて、そんで鉄コレを守口で仕入れてさて上ろうってなったら“5555”の登場。5000目当てで来てた節が7割有ったから当然迷わず乗って、そっから枚方で特急と思うも何か降りたくなくて気付いたら出町柳。ひたすら発見発見だったね。何せ初めての京阪線。見える景色全てが新鮮。
多分それが5555をここまで追いかけ回してきた理由なのかなぁ。正確なものは自分でも分からんけれど、間違いなくこの日が理由の半分を占めてる気がする。
そういやあの日はそもそも京阪!京阪!言いながら梅田で阪神阪急に寄り道してたのよね。まあそれのお陰で5に乗れたんだから良い寄り道だった。
あっ、ただどっち道5000好きを拗らせるのは避けられない運命だったらしく寄り道しなくても淀屋橋には1がKZで居たらしい。
それでこれは今後も来て撮りたい。そう思って色々徘徊して樟葉。あっ、ちょっと話逸れるかも。
構図がギリ許せるけれど単なるコンデジの写真だと思うじゃん?でもこれが一眼買った理由なのよね。当時スマヒョは論外と言いつつコンデジを平然とスマヒョに毛が生えた使い方してたの。なのに何か知らんけど一眼の撮り方(=撮り鉄の人の撮り方/当時の偏見)で撮ってそんでやっとコンデジはコンデジでしかなくて画質もその程度。ちゃんと撮るなら一眼。
ってな訳で8月の頭に一眼買って・・・・・。おっとこれじゃ5000の話になってしまう。この話は5000のポエム記事に回して5555の話に戻すね。
そんなこんなで形成された5555追いかけ回しの精神で日中Kに入る土日を必ず日程に含めた上で運用を予想して毎度毎度行ってた訳だけれども、やっぱり何だろうね。一言で言えばチャンスをドブに捨ててた。写真の腕、カメラに触ったこともないのに勝手に脳内で形成された偏見で周りの師に意見を求めなきゃ聞きもしなかった。長ったらしい話は暫く時間を置いてからゆっくり垂れ流すことにするけれど、本当にそれに尽きる。
そんな訳でギリ出せる検査前(18-6出場で通した検査)の写真なんかこれだけ。微ブレしてるからビミョーだけれども。
ほんで検査通れば当然ピカピカになる訳でそれがこの記事の最初に出してる写真。
正確には2ヶ月経ってるけれど出場から1ヶ月と少しばかりは平日F0500Z〜/土休F0500Z〜 or 止だったお陰でそこまで汚れなかったのよね。あぁ、ピカピカF0500・・・・・。
5000自体稼働機会が本当に平日はハナクソみたいなレベルで土休日もろくに動くのは2運用だけってこともあってそのまま年末年始になってもスカートはまだ綺麗な感じだったし気持ち車体もキレイ。
まあ1年経ったら流石に汚れが所々見えてきてたけれども。
“明日の5555と今日の5555は違う”
これをモットーに毎度毎度K1100Zは常昌院で撮ってたなぁ。順光が西三荘とここくらいしかないだけ。
“最後の板”になっちゃった50th。
45th程のセンスは感じなかったけれど何だかんだ良いデザインだったね。
板付FA。本当に撮れて良かった。
50th終わって1週間後の改正からは擁護のしようのない偏差値測定不可なひたすらRBRNたまにPの6連運用への充当が専らになっちゃったね。けれど検査から2年も経ってないから距離の長いK0500Z/Q0604Zにやたら入って3が消えてQ0604Zが6連になってからは、ほぼほぼK0500Z固定。今思えば最後の誠意だったのかなぁ。単なる距離消化と1,6の都合。
何かごめんなさい、人に見せて良いか分からない読みにくい長ったらしいポエムになっちゃって。
何度でも言いたい。本当に悔いしか無い。もっと撮りたかった。せめてあと1日と9時間欲しい。バリ晴の中、R0607B〜F2301A翌Q0502S〜P0804Nのスジで撮らせて欲しい。なのにもう叶わない。あそこで撮りたい。そこで撮りたい。本当に、本当に悔しい。全てが悔しい。
なんだろうね、まだ気持ちも言葉も整理出来ない。鉄の箱如きで何を大袈裟にって、TwitterのTL見て思うこと有るけれど、本当になるんだね。鉄の箱如きでって思ってたし思うかもしれないけれど。色々思い出しちゃう。それは5555だけじゃなくて、5555から見た景色とか、撮影地での出来事とか、撮る為にあれやったこれやったとか、色々なこと。。。。。
本当にありがとう5555⑦605。本当にお世話になりました。。。。。
さようなら。。。。。
今まで散々追いかけ回してきた5555編成も本当に残念なことにギリ年を越せず・・・・・。怒涛の5000追放キャンペーン3弾の第3波に勝てなかった。。。。。
最終運用は3/24 R1802Nでそこから5554と同じように予備としてひたすら淀屋橋停泊明けがよく止まってたゾーンで最後の数日。
何だろうね、悔いだらけ。
そもそも初めて5555を見たのは3年前でまだギリギリ2,4が生きてた頃。
京阪というところは面白そうだ!って言って適当なデタラメの行先言って飛び出してきて、そんで鉄コレを守口で仕入れてさて上ろうってなったら“5555”の登場。5000目当てで来てた節が7割有ったから当然迷わず乗って、そっから枚方で特急と思うも何か降りたくなくて気付いたら出町柳。ひたすら発見発見だったね。何せ初めての京阪線。見える景色全てが新鮮。
多分それが5555をここまで追いかけ回してきた理由なのかなぁ。正確なものは自分でも分からんけれど、間違いなくこの日が理由の半分を占めてる気がする。
そういやあの日はそもそも京阪!京阪!言いながら梅田で阪神阪急に寄り道してたのよね。まあそれのお陰で5に乗れたんだから良い寄り道だった。
あっ、ただどっち道5000好きを拗らせるのは避けられない運命だったらしく寄り道しなくても淀屋橋には1がKZで居たらしい。
それでこれは今後も来て撮りたい。そう思って色々徘徊して樟葉。あっ、ちょっと話逸れるかも。
構図がギリ許せるけれど単なるコンデジの写真だと思うじゃん?でもこれが一眼買った理由なのよね。当時スマヒョは論外と言いつつコンデジを平然とスマヒョに毛が生えた使い方してたの。なのに何か知らんけど一眼の撮り方(=撮り鉄の人の撮り方/当時の偏見)で撮ってそんでやっとコンデジはコンデジでしかなくて画質もその程度。ちゃんと撮るなら一眼。
ってな訳で8月の頭に一眼買って・・・・・。おっとこれじゃ5000の話になってしまう。この話は5000のポエム記事に回して5555の話に戻すね。
そんなこんなで形成された5555追いかけ回しの精神で日中Kに入る土日を必ず日程に含めた上で運用を予想して毎度毎度行ってた訳だけれども、やっぱり何だろうね。一言で言えばチャンスをドブに捨ててた。写真の腕、カメラに触ったこともないのに勝手に脳内で形成された偏見で周りの師に意見を求めなきゃ聞きもしなかった。長ったらしい話は暫く時間を置いてからゆっくり垂れ流すことにするけれど、本当にそれに尽きる。
そんな訳でギリ出せる検査前(18-6出場で通した検査)の写真なんかこれだけ。微ブレしてるからビミョーだけれども。
ほんで検査通れば当然ピカピカになる訳でそれがこの記事の最初に出してる写真。
正確には2ヶ月経ってるけれど出場から1ヶ月と少しばかりは平日F0500Z〜/土休F0500Z〜 or 止だったお陰でそこまで汚れなかったのよね。あぁ、ピカピカF0500・・・・・。
5000自体稼働機会が本当に平日はハナクソみたいなレベルで土休日もろくに動くのは2運用だけってこともあってそのまま年末年始になってもスカートはまだ綺麗な感じだったし気持ち車体もキレイ。
まあ1年経ったら流石に汚れが所々見えてきてたけれども。
“明日の5555と今日の5555は違う”
これをモットーに毎度毎度K1100Zは常昌院で撮ってたなぁ。
“最後の板”になっちゃった50th。
45th程のセンスは感じなかったけれど何だかんだ良いデザインだったね。
板付FA。本当に撮れて良かった。
50th終わって1週間後の改正からは擁護のしようのない偏差値測定不可なひたすらRBRNたまにPの6連運用への充当が専らになっちゃったね。けれど検査から2年も経ってないから距離の長いK0500Z/Q0604Zにやたら入って3が消えてQ0604Zが6連になってからは、ほぼほぼK0500Z固定。今思えば最後の誠意だったのかなぁ。
何かごめんなさい、人に見せて良いか分からない読みにくい長ったらしいポエムになっちゃって。
何度でも言いたい。本当に悔いしか無い。もっと撮りたかった。せめてあと1日と9時間欲しい。バリ晴の中、R0607B〜F2301A翌Q0502S〜P0804Nのスジで撮らせて欲しい。なのにもう叶わない。あそこで撮りたい。そこで撮りたい。本当に、本当に悔しい。全てが悔しい。
なんだろうね、まだ気持ちも言葉も整理出来ない。鉄の箱如きで何を大袈裟にって、TwitterのTL見て思うこと有るけれど、本当になるんだね。鉄の箱如きでって思ってたし思うかもしれないけれど。色々思い出しちゃう。それは5555だけじゃなくて、5555から見た景色とか、撮影地での出来事とか、撮る為にあれやったこれやったとか、色々なこと。。。。。
本当にありがとう5555⑦605。本当にお世話になりました。。。。。
さようなら。。。。。